「公立中学校にいた頃……」
そんな書き出しから、服さん(@fukusanity)さんは以下のような呟きを投稿しました。
公立中学校にいた頃、毎日本当に美しい字でノートを書いて勉強してるのにテストの点数が500点満点中100点に届かない石本くんという人がいて、「努力すれば誰でも東大に入れる」みたいな話を聞くと彼のことを思い出す。多分そういう話を信じてる人は、石本くんみたいな人に会ったことがないのである
— 服さん (@fukusanity) December 19, 2023
俺が勉強できない人に寛容なの石本くんみたいな人を沢山見てきたからかもしれない。人間の情報処理能力は個人によってかなりばらつきがあって試験で計測できる処理能力はそれを評価するもので、努力で上げられる値は大きいけど「誰でも東大に入れる」というほどではないと考えてる
— 服さん (@fukusanity) December 19, 2023
なるほど(;´・ω・)
努力の定義
なお、リプライ欄にはこんなコメントも。
美しい字=勉強してる
ではないので…それは努力とは言わないね…教科書読み込んだ方がマシ。教科書の方が字綺麗だしまとまってるし。
硬筆の先生とか目指すなら効率的だろうけど。 https://t.co/ViWutwnINV
— ALT (@KGiTzB6cPRWxNHB) December 19, 2023
綺麗にノートを取ることばかりに注力していたわけでもなく、そもそも授業の内容を理解できていなかった可能性もあるかもしれませんね。
関連:「勉強ができない人は努力不足か非効率なだけ」そう思っていたが
みんなの反応
●いや、「努力すれば〜」は正しいのよ。ただその努力の種類と質と量は個々人によって異なるし、効果のないものは誰も努力と認めてくれないだけの話よ
●Fラン大学の『真面目な生徒』にこのパターンが多かったので実感がありすぎて困る
●こういう人って写経になっていて、字を書くという行為を頭空っぽにしてやってるのでノートを取る、理解するという行為ではないんですよね
考えさせられるお話に、他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました。