「思えば大学に入るまで教師に嫌われ続けた人生だった」
そんな書き出しから、にくじる (@adhd11510717)さんは以下のようなツイートを投稿しました。
思えば大学に入るまで教師に嫌われ続けた人生だった。私は疑問があれば質問し、間違いがあれば訂正し、授業の感想について手紙を書く生徒だった。小学校の先生からは廊下に机を出され、中学では手を挙げても無視され、高校では激しく叱責された。そこまでされても私の特性は変わらず大学にそのまま入学
— にくじる (@adhd11510717) November 30, 2022
し、同じ事を授業でやった。そしたらそれまで疎まれていた私が一気に優等生になった。先生達からは評価されるし同級生にも「質問してくれてありがとう」と感謝される様になった。私自身は何も変わっていないのに環境が変わったら途端に褒められる様になった。この経験があるから私は世の中の常識を
— にくじる (@adhd11510717) November 30, 2022
あまり信じていない。ある場所では酷評され、ある場所では絶賛される事物は日常に溢れていると感じる。「世間的に正しい事」に振り回されて自分を見失う事は果たして人生に何を齎すか。
— にくじる (@adhd11510717) November 30, 2022
なるほど…。
表裏一体
おっしゃる通り、人や環境によって変わるのが『常識』というものなのかもしれませんね。
「世の中多数決」な場合が多いと感じます。圧が強い方に流れる人も多いし…
私は「他人の常識は自分の非常識であり、逆もまたしかり」と思って、譲れるところは余裕を持ちつつ譲ります
完璧には程遠いので(;^ω^)
変わる強さと変わらない強さ…どちらも大事 https://t.co/2Rl9WPYRZc— Chaco@little-lemury (@little_lemury) December 1, 2022
何を貫き何を譲るかについて、いま一度考えさせられるお話でした。
関連:公共の場で別れ話をするカップルが理解できなかった男性。しかし
みんなの反応
●クソわかる…。自分は質問しなくなってしまったな
●こういう極端に変わる事例もあるのか
●私自身、転職して評価が180度変わったことがあるので共感できるものがある。自分の長所を発揮できる場所を探すことも大事だと思う
●世間的に正しい事というか、もっといえば多数派というところか。誰かが言った、「常識とは、18歳までに得た偏見のコレクションである」正しくそういう事だろうと
興味深いお話に、他のユーザーからも大きな反響が寄せられていました。