原貫太 / フリーランス国際協力師 (@kantahara)さんが投稿した、古着の寄付にまつわるツイートに注目が集まっています。
いらなくなった古着を途上国に送る。その"善意"が現地の産業を破壊してきた。
先進国からウガンダに届いた古着の山。販売価格は1着6円。現地の仕立て職人「かつては繊維産業が盛んだったが、古着が輸入されてからは衰退した」
私たちの寄付は本当に役立っているのか?終着点を知らない人が多すぎる。 pic.twitter.com/NZ4TVGWV5t
— 原貫太 / フリーランス国際協力師 (@kantahara) October 2, 2021
まさかの現実にショックを隠せません…。
自己満足になっていないか
原さんはさらにこう続けます。
善意というのは、時に悪意よりも恐ろしいものになりえます。なぜなら善意によって行われている行為というのは、それが誰かを苦しめることに繋がっていたとしても、そのことに自分では気づきにくいからです。
『地獄への道は善意で舗装されている』ヨーロッパの諺です。善意の行く末を見届けてほしい。
— 原貫太 / フリーランス国際協力師 (@kantahara) October 3, 2021
僕は善意を否定するつもりはありません。善意がなければ貧困問題に目が向くこともないはずです。
でも、その善意によって誰かに迷惑をかけていたり、別の問題を生み出していたとしたら、もったいない。
だから、まずは現実を知ってほしい。善意を無駄で終わらせないために。
— 原貫太 / フリーランス国際協力師 (@kantahara) October 3, 2021
善意で行ったことが、現地の発展の妨げになってしまっては本末転倒です。
途上国への効果的な支援の在り方について、深く考えさせられますね。
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みんなの反応
●物凄くショックです。自分が関わることの裏の裏まで調べないと自己満足どころか、害にもなってしまうんですね…
●私自身北アフリカに住んでたが、やっぱ一定層貧困層がいたので、現地では50円〜300円で(古着とは言え)服を買えるからこそ学校にも行ける、って感じでむしろ自由貿易自由経済の凄さと感じてました。逆に最低限の所得がある人は間違っても古着には手を出してなかった
●古着の倉庫へ行ったことがありますが、善意の寄付よりも企業からの新古品が多い印象を受けました。作りすぎて売れなかった物を値札がついたまま大量に出している、企業の姿勢も追求するべきではないでしょうか
●知らなかったです。今 子どもの教科書がちょうど日本のいらなくなったボロボロのランドセルをもらったアフガニスタンの子どもが喜んで助かってるという内容なんです。寄付は良い事だとちょうど学んでいるところなので、こういうお話も聞かせたほうがいいですね
ハッとする呟きに、他のユーザーからも大きな反響が寄せられていました。