「某大学で動物解剖学を教えていた時…」
そんな書き出しから、郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe)さんは以下のようなツイートを投稿しました。
某大学で動物解剖学を教えていた時、ラスト数回だけ出席した学生さんがいた。その子が最後の出席カードに書いてくれた「しんどくてなかなか大学に来れなかったけど、もっと早く講義を受けにくればよかった。面白かった。大学に行く勇気をもらえて感謝してる」という感想は、今でも私に勇気をくれる。
— 郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe) September 25, 2022
心が折れそうな時に「体の中にある凄い構造・凄い働き」がメンタルを支えてくれる気持ちはとてもわかる。まずは知ること。全てはそこからだと思う。
個人的には、体の構造を知ることで、時折怒る体調不良を「敵からの攻撃」ではなく「味方からの救難信号」に思えるようになったのもよかった。— 郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe) September 25, 2022
解剖学の知識がなくても日々の生活に特段の支障はないだろうけど、自分の体は生まれてから死ぬまで一生一緒にいる数少ない存在だから、きちんと知って、敬意と愛情をもって接していけるといいよねって思っています。その学生さんが今どうしているのかは知らないけど、楽しく笑っていてくれるといいな。
— 郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe) September 25, 2022
なるほど(⁎ᵕᴗᵕ⁎)
大切な気づき
郡司さんはさらにこう続けます。
学問や科目を「役に立つ/立たない」と分類して議論するのをよく見るけど、人生は、「一見して役に立ちそうなもの」ばかりで構成されてるわけじゃないよねって思う一つのきっかけだったな。「なくても支障はないものに救われる日」もある。
— 郡司芽久(キリン研究者) (@AnatomyGiraffe) September 25, 2022
知識は、人生をより豊かにするためのエッセンスなのかもしれません。
知らなくても生きていけるからといって、学ぶことをやめてしまうのは勿体ないような気がしますね。
みんなの反応
●学ぶってこういうことだよね、と久しぶりに思い出しました
●学問は役に立つ立たないではかるものではないよなぁ…
●これを。中高生の私に言い聞かせたい。でも、この心境に共感できるようになって良かった。遅すぎることはない
●「役に立つ」だけを指針に「価値」を定めてしまったら味気ない
なるほどな呟きに、他のユーザーからも大きな反響が寄せられていました。