オーストラリア・クイーンズランドで、3人の子どもを育てながら看護師として働くケイトリン・ブラッシントンさん。
ある日、つらいシフトを終え、着替える余裕もなく帰路に就いた彼女は、看護師姿のままスーパーへ立ち寄りました。
すると…そこで偶然彼女を見かけた知人から、こんな言葉をかけられたそうです
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医者でもないのに着替えることもしないで、ずいぶん忙しそうに見せている、といった嫌なニュアンスを感じさせる言葉。
これまでにも度々、同様の言葉を耳にしていたケイトリンさんでしたが…
心身ともにひどく疲れていたこともあって、この時ばかりは、その心ない一言を受け流すことが出来ませんでした。
そして彼女は、Facebookにこんな反論を投稿します。
今回は、ほとほと頭にきたわ。
私って、「ただの看護師」なの?
多くの赤ちゃんが産声を上げる手助けをしていても、「ただの看護師」。
患者たちの手を握って、彼らが息を引き取るのを看取っても、「ただの看護師」。
子どもを失って悲しみにくれる両親を慰めても、「ただの看護師」。
集中治療室で、患者の蘇生を成功させても、「ただの看護師」。
医療チームの手足として、人々の病を治療していても、「ただの看護師」。
患者とその家族への指導、そして自分の後輩を教育していても、「ただの看護師」。
人々のケアをするために、クリスマスや自分の子どもの誕生日、学校の演奏会に参加できなくても、「ただの看護師」。
他の人から見たら「ただの看護師」だとしても…
私は自分自身を、ものすごく誇りに思っているわ!
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自らの仕事の大切さを訴える彼女の力強い言葉には、多くの人々から称賛のコメントが寄せられました。
●人々は、あなたの職業をもっと尊敬すべきだ
●「ただの看護師」じゃなくて、私たちのヒーローさ
後に受けたインタビューにおいて、ケイトリンさんは、自身の投稿を支持した人々に感謝しながら、こう発言しています。
そして1人1人が自分自身の職業に対して、しっかりとプライドを持つことも大切だわ。
看護師だけでなく、世に溢れる職業の多くは、その内容や大変さが他者の目には見えにくいもの。
しかし…どんな仕事も、自分以外の誰かや何かのために行われ、社会を支えています。
そのことを、私たちは決して、忘れてはいけませんね。