ムーチョ🇲🇾マレーシア移住した (@mucho)さんは以前、「反差別の教育法」を巡って、こんなツイートを投稿しました。
子供をインターに入れて、思ったこと
日本の学校「差別はいけません。みんな同じ人間なのです」
インター「差別はいけません。みんな違う人間なのです」
同じこと言うのにアプローチが全然違う
— ムーチョ🇲🇾マレーシア移住した (@mucho) 2017年12月26日
※インター=インターナショナルスクール。主に外国人生徒を対象とする教育施設
なるほど…!
どっちが正しい、ではなく
どちらの教えも、目標そのものは同じですが…
ムーチョさんのおっしゃる通り、日本の学校が主観的な「自制」、インターナショナルスクールが客観的な「分析的思考」の成長を重んじている点で、描く道筋は対照的です。
これはちょっと面白いね。
前者は「多少の違いはあれど、結局はお前も同じ人類種だろ?同じ穴の狢が差別とか滑稽だぜ」って考え。
後者は「そもそもこの世にゃ全く同一の人間なんて存在しないんだから、いちいち小さな違いくらいで気にしてたらキリがないぜ」って考え。— 巴桜、ときどき雛里 (@Caprice9814) 2017年12月27日
「和」は行き過ぎると同調圧力。
「多様性」は行き過ぎると利己主義。
本当の意味で個を伸ばし、差別をなくすためには、一方が正しいといった議論ではなく、「どうバランスを取るべきか」について突き詰めていかなければなりません。
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みんなの反応
●異文化理解は異文化を理解することじゃない。異文化が異なる文化であるということを理解すること
●案の定日本式が叩かれてるけど、欧米式も弊害あるし。入り口はどっちでもいいけど、大人は両軸もった姿を見せてあげられるといいのかな
●どちらかが正解ではなく、子どもがすんなり受け入れられたらいいですね
深く考えさせられる一幕に、他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました!