「僧侶として新興宗教脱会の相談を受けていて…」
そんな書き出しから、六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI)さんは以下のようなツイートを投稿しました。
僧侶として新興宗教脱会の相談を受けていてよく耳にする「新興宗教に入信してから心が軽くなった」というのは、多くの場合「人生の選択と決断のコストを宗教的教義に委ねられるから」なんですね。つまり自分で決めなくて良いという状況が楽なんですね。裏を返せば、大切な選択や決断すら出来ないような
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) October 29, 2022
精神的、肉体的、経済的な状況にあると、人は縋るものを欲してしまう訳ですね。
例えばそこで伝統宗教(寺社など)と縁があると、根本治療として生活自体の改善を指摘される場合が多い※もちろん例外もある
しかし新興宗教、カルト宗教にとってみれば研修の要らない新人のようなものですから、団体に
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) October 29, 2022
とって都合の良いように言葉巧みに依存させていく、というケースが多く見られます
だから何という事ではないのですが、そういう例もあるよという話です
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) October 29, 2022
一応追記なんですが、伝統宗教の例で「根本治療」と表記しましたが、我々は医療者ではありせんから、実際の治療をするという意味ではありせん。
しかし必要に応じて、通院をお勧めする場合もあります。
それも宗教家としての役割かと思います。— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) October 29, 2022
なるほど…。
あえて責任を放棄させる
信者から決断する能力を奪い、食い物にするのがカルト集団のやり口なのでしょう。
「心が軽くなった」は自分の悩みや重荷をこれから解決してもらえるという安心感から。でもそんな事はない事に気づく。その頃には全てを奪われてる。お互いの監視体制でがんじがらめ。最終的にそれにすがって生きるしかなくなるので信心するしかない。
— まりも (@KbizjEyHmWVFCxg) October 29, 2022
本来、人は楽なほうへと流されやすい生き物なのかもしれません。
その弱さにつけ込まれないためにも、頼る相手を間違えないようにしなければなりませんね。
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みんなの反応
●なんか、ファシズムの元での大衆の論理そっくりですね…。自身で考えて行動するより命令&服従した方が楽だって思えてしまうという
●判断や決断嫌いな人、多いですからね…
●これ本当にそう、「こうしておけば幸せになれる」「これをすると不幸になる」という指針が用意され、それに寄りかかるだけで生きていける人生のなんと楽なことよ
●自立する、自律するための教えが宗教ですよね。カルト的集団は依存させようとする
ハッとさせられる呟きに、他のユーザーからも大きな反響が寄せられていました。