いじめについて…
真島文吉(@ASCIIART_NOVEL)さんは、こんな呟きを投稿しました。
いじめがクラスをまとめるシステムとして作用している、いじめが無いクラスは単に崩壊しているって話が流れてきたが、いじめが存在するクラスが崩壊していないと本気で思っているのなら教育に関わるべきではあるまい。生贄のいる教室など教室では無い。
— 真島文吉 (@ASCIIART_NOVEL) November 27, 2021
今のうちに補足しとくとそういう内容の本があるって話のようです(誰かがこういう意図のツイートをしたわけではない多分
— 真島文吉 (@ASCIIART_NOVEL) November 27, 2021
「生贄のいる教室など教室では無い」
おっしゃる通りですね。
あるまじき考え方
リプライ欄には、こんな意見が寄せられていました。
集団の結束を強めるのに、敵を作るのは手軽なんですよ。
通常の仮想敵は外敵で、クラス対抗とかになるわけですが、これが内敵であっても問題なく、むしろもっと手軽というね(闇— サラシモン💉💉 (@Saratter) November 27, 2021
これ、僕は「いじめてもいい奴がいると組織はまとまる。お前はいじめられ役をやれるか?」と言われて「やりますよ」と就職した経験がある僕に言わせれば、確かに「組織としての一体感」は出るんだよ。でも一方で、指導者の端くれとして、その一体感は「学びの場には必要ない」と言い切らせてもらう。 https://t.co/wAtnYYqrBv
— いさけんさん【目指せ令和の紀貫之チャレンジ(小休止中)】 (@isa_kent) November 27, 2021
如何なる理由があろうと、特定の生徒を『犠牲』にするなど言語道断です。
教育者ならば、全ての生徒が安心して過ごせる環境づくりに尽力してほしいですね。
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みんなの反応
●自分の経験で恐縮だが、生贄を差し出し続けることで生きながらえる会社組織がある。この場合「いじめは組織をまとめるシステム」として機能してしまっている。が、それはもちろん健全な姿であるわけがない。徐々に人材の質が落ちていき破綻を迎える。(クラスの場合は破綻する前に1年が終わる。)
●クラスをまとめているというよりは単なる同調圧力でしかない。それはムラ社会にも通じるもの。クラスをまとめるために一人の人間が犠牲になるとかそんなの加害者側の自己正当化以外の何物でもない
●日本社会全体に言える話では
考えさせられるお話に、他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました。