僧侶のカレー坊主@吉田武士(休憩中)(@curry_boz)さんは先日、ある広告案を見て、疑問を呟かずにはいられませんでした
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毎日広告デザイン賞。イオンのこの広告が選ばれていることが悲しいですね。違和感というか、何かを冒涜しているような気分になりはしまいか。作り手も選び手も途中で踏み止まることはできなかったのだろうか。 pic.twitter.com/RkSww7V3qo
— カレー坊主@吉田武士(休憩中) (@curry_boz) October 4, 2020
なるほど(((;゚Д゚)))
金銭的・手続き的な「親しみやすさ」を全面に押し出す意図があったのかも知れませんが…それだけに、衝撃を禁じえないビジュアルです。
複雑な心情
吉田さんはさらにこう続けます。
■葬儀の商業化について
実際に病院の霊安室からの搬送、火葬などの行政手続き、葬儀の準備や運営管理などに携わる葬儀社という存在は必要不可欠です。よりよいサービスを適正な費用で提供されるためにも資本主義経済で一定の競争は必要ですし、否定しません。それを形骸化と呼ぶことはありません。— カレー坊主@吉田武士(休憩中) (@curry_boz) October 5, 2020
サービス自体にはそれぞれが価値を見出し、サービス提供者はその価値を定めて提供すべきでしょう。
しかし、信仰対象のシンボルに向けて発泡トレイとラップをするというサービス提供者の主観的な「価値」付けをすることはおこなうべきではないと思いました。それは「命の価値」を決める行為だからです
— カレー坊主@吉田武士(休憩中) (@curry_boz) October 5, 2020
「命の価値」を勝手に決めることをしてはいけない。とはいえ、無意識にしてしまいます。宗教者、僧侶であっても「命の価値」を決めることはできませんし、するべきではないと思います。しかし現実には、しています。私にとってゴキブリと息子の命の価値は違います。
— カレー坊主@吉田武士(休憩中) (@curry_boz) October 5, 2020
無意識におこなわれている「命の価値」を決めるという行為。個人の中に秘めた差別性は、表に出すと凶器となります。それを公にすること、その差別性を是(広告)として発信することは果たして何を生み出すのでしょうか。
— カレー坊主@吉田武士(休憩中) (@curry_boz) October 5, 2020
まぁ、パックに入っているということをなんとなく粗末にしているように見えるのも私の価値観なんですけどね。ふぅ…自分の中の差別性に気づくとしんどい…とはいえ、それこそが仏教の説くところなんですよね。やっぱりしんどい。
— カレー坊主@吉田武士(休憩中) (@curry_boz) October 5, 2020
これも、時代の転換点を示す一つの指標となりうるのか…
我々がその答えを知るのは、もう少し先のこととなりそうですね。
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みんなの反応
●知らないという事の恐ろしさを表しているような気がしました。物としてしか考えないとこういう事ができるのかも知れません。知らないなりに存在の意味を知るべきかと思います。少しでも理解していただけたなら表現方法は変わっていたかも知れません
●葬儀などの料金が明確になるのはいいことですが、位牌が粗末というか軽んじられているようにみえました。個人的には嫌ですね。自分は無神論者ですが、でも親の位牌は大切に扱うし大切に思ってます
●この広告は「お葬式をイオンで気軽に明朗会計で」という表現の視覚化としてはものすごくクリエイティブである一方、死やそれにまつわる儀式を市場化してるので、人の感情を逆撫でする要素もやっぱりありますね
深く考えさせられる光景に、他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました。