今から約2年前、ミュージシャンのKoji Nakamura ナカコー (@iLLTTER)さんが、「生活の中の音楽」を巡ってこんな呟きを投稿しました。
閉店ギリギリのスーパーでちょっと買い物。店内の音楽が最近の邦ロック。洋邦関係なく、スーパーでロックは全然合わない。というか意味がない。生活の中で音楽はもう少し考えて流すべき。生活空間で音楽は無理にながす必要もない。スーパーにはそのスーパーのオリジナルソングが合っている
— Koji Nakamura ナカコー (@iLLTTER) 2017年11月23日
すると、ロックバンド・くるりのボーカルである岸田繁 (@Kishida_Qrl)さん、さらにシンガー・ソングライターの高野寛 (@takano_hiroshi)さんも、このツイートに賛同します。
音楽もっと生活空間に少ないのがいい。スーパーもコンビニも飲食店や居酒屋も無音がいい。街中も音楽無いのがいい。せめて赤提灯やラーメン屋台の古典演歌くらいがいい。
— 岸田繁 (@Kishida_Qrl) 2017年11月23日
音楽の都、ウィーンのカフェは無音のとこが多かった。繁華街のビジョンでアーティストがニューシングルの宣伝なんて有り得ない感じでとても静か。だから音楽聴く時楽しく聴けるのかもね。メリハリ。
— 岸田繁 (@Kishida_Qrl) 2017年11月23日
そんなことを考えながら、精華大学の前期の授業では京都市内のカフェのBGMを生徒と一緒にセレクトした。BGM作るのにも、色々考えた方がやり甲斐がある。
— 岸田繁 (@Kishida_Qrl) 2017年11月24日
ずっと、僕もそう思ってる。結局、誰も聴いてない気がする。
CDショップや家電量販店のテレビ売り場、同じフロアで違う音楽が混ざって鳴ってるのとか。 https://t.co/5OSaAX1wYS— 高野 寛 (@takano_hiroshi) 2017年11月24日
「BGMは、むやみやたらに流すべきものではない」
深く考えさせられる意見です。
BGMの意味
心を癒やす上で、どんなメロディーも「自然の音」に敵わない瞬間は多々存在します。
音楽は好きだから、聴きたい時に聴きたい場所で聴けるのがいいね。人と会話する時は無音がいい。聞き取りづらくなっちゃうし、疲れるよ。 https://t.co/84pf628ced
— 紅子=クレイ (@donguri_2004) 2017年11月24日
随分昔に先斗町と木屋町の隙間の天ぷら屋に入ったらBGMが無くて、天ぷらを揚げる音と食べる音、そして少しの会話の声だけが店内を満たしていて、とても新鮮だったことを思い出しました。ラジオや蓄音機が世に出回るより前の世界の音風景はきっとこんな感じだったのだろうなぁ。 https://t.co/kkdcXQb2Ix
— 西田彩ゾンビ (Saya Nishida) (@zonbi) 2017年11月24日
よく行く飲み屋は好対照。
片やテレビも有線放送もないけど喧騒の中いただく店と音楽メインではないけど店主の選曲がそそる店。
どちらも酒が進む店。
音は妨げにも肴にもなる。 https://t.co/rAlt33DYA5— まき☆ねりまき (@makidekazu) 2017年11月24日
文化としての歴史が長いぶん、枠内における個々人の好みも凄まじく細分化されている音楽。
だからこそ…特に大衆が集まる場所では、選曲の過程・および「あえて流さない」という選択肢も、もう少し尊重されてしかるべきなのかもしれません。
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みんなの反応
●銭湯で流れる演歌、街に流れるクリスマスソング、その場、時に適した音楽は欲しい…が、ラーメン屋で終始流れたプロレスの入場曲、F1のテーマ、絶対に許さない…
●外食時、個人的に美味しいなって思って静かに食べているときに、個人的に好きじゃないなって思うJ -POPなどが流れていると、せっかくの美味しさが減少してしまい残念な気持ちになります
●ほんとに本屋とかで流れる趣味に合わない音楽は買う気を失うし、探し物が見つからなくなるし、要は気が散るとずーっと感じてます。センス疑う
ハッとする一幕に他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました!