薪を背負って本を読む二宮金次郎像。かつては多くの小学校でその姿を見ることが出来ましたが、近年はその数が現状傾向にあるようです。その理由は・・・
その理由は、「勤勉の精神が時代に合っていない!」「ながら歩きは危険!」などの苦言が相次いだこと。
歩きスマホや、ゲーム機をいじりながらの通学が、この撤去を招いているとしたら、何だか残念な気がしてなりません。
そして、撤去された二宮金次郎像は一体どこへ行ったのかというと・・・近所の神社に奉納されていたり、なぜか居酒屋に寄贈されていたりしているのだとか。
コチラもそうでしょうか・・・。
ビルの一角に二宮金次郎像がある pic.twitter.com/iHO3Ac9SHG
— ざきちん (@sakinosakiko) 2016年2月21日
像を見ながら小学校時代を過ごした筆者としては、寂しさを感じずにはいられません。。。
Twitterでは・・・
https://t.co/SqwCDOFz1Y マナーを重視するあまり文化を捻じ曲げるのは酷い…。なぜ二宮金次郎が仕事しながら勉強していたのかというところを蔑ろにするなら像なんて立てなきゃいいのに。
— 万2 (@from31to40) 2016年3月2日
なぜ二宮金次郎は、巻きを背負ってまでも本を読んだか、それは読書が彼にとって楽しいものだったから。極端な話、スマホを見ながら歩く現代人と変わらない。本質的に違うのは、そうして学んだことを人々のために役立てたこと。でもそれも人々のために役立てたことがうれしかったからだと思う。
— 陰山英男 (@Kageyama_hideo) 2016年2月26日
二宮金次郎さんが、ながら歩き?撤去?昔は子供も働かなくてはいけなかった。その中でもお勉強していた立派な方が、恵まれてる世の中になったら、歩きスマホと一緒にされるの???その内人間に自動歩き安全センサーとか付いて衝突防止付きでスマホしたりするの?ちょっと袖がぶつかったら訴訟とか?
— ○ (@chieko_nagisa) 2016年3月2日
話は遡って、二宮金次郎像がなくなってるってウワサだけど、『歩きながら読書は危ない』っていうのは現代においてだと思う。当時は自動車なんて走ってないし、彼は畑を自分で開墾したってことは、その辺は人通りもまばらな所だったのでは?
寸暇を惜しんで勉強したのを見習おうって解釈でいいはず。
— ハラダ ヤスヒト (@yas_hit) 2016年2月21日