僧侶の六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI)さんが投稿した、あるご婦人とのエピソードに注目が集まっています。
今朝方、出先で車に向かって歩いていたら、見ず知らずの御婦人に「お坊さま、こんな時分に恐れ入りますが、お衣を触らせて下さいませんか?」と言われたので事情を伺うと、お孫さんが難病で入院中との事でした。正直に言うと、まだ法衣に触れて功徳を頂くという信仰が残っているのかと驚いたのですが↓
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) March 7, 2022
ご迷惑でなければと数珠を差し上げたら涙ながらに大切に仕舞われた。私たち僧侶というのは宗派や教義、拝む対象や社会的な立場や役割に囚われがちだけれども、ただそこに「僧」がいるという事実だけで人々に安心を与える事も出来るのではないか。総本山での修行中に「寒い日、焚き火に人が集まるように
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) March 7, 2022
そこにいるだけで人が集まり、人に安心を与えられる、そんな僧侶に私はなりたい」とお話下さった老僧を思い出した。それと同時に御婦人が認識している「お坊さま」と実際の私はいかほど違うものであろうかと恥じた。ただ「僧」がいてくれれば良いと言われる事の尊さと、それに甘んじぬ求道の心、この
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) March 7, 2022
両輪が真っ直ぐと御仏に向かっていく事こそが、月並みの表現ではあるが「三宝のありがたさ」なのではないだろうか。私は「理由なき修行、布施なき経」を実践し、当たり前に僧でありたい。
— 六尺法師 (@6SYAKU_HOUSHI) March 7, 2022
素晴らしい…。
信仰の力
六尺法師さんの真摯な対応に、ご婦人はさぞ救われたことでしょう。
きっとご婦人は忘れられない一日になったでしょうな
お孫さんに話され、それがさらにつながっていく
信仰とはかくあるもので、だから今にも残ってるのでしょうな
どうもありがとうございました— パグジロウラモルスァ・・・ (@pagu26ramoumou) March 7, 2022
現状に甘んじることなく自己を律し、多くの人の心の拠り所であろうとする志の高さに脱帽しました。
関連:ある僧侶が、お寺での厳しい修行よりも辛いと感じたことは…
みんなの反応
●たしかにお坊さんの安心感といったらないわ
●人が最後に頼るものって形のない祈りだったりするけど、沢山の人の祈りや願いや思いを受け取って体現しているのってお坊さんだと思う。徳を積むって思いを積んでるんだなって最近思うの。だから尊いよね
●私自身は無宗教なんだけど、自身の生き方、自身の仕事にこうも真摯な人を見ると背筋が伸びるな
●これぞ功徳と言ったお話ですね。おばあさまのお孫さんが健やかでありますように
胸に響くお話に、他のユーザーからも大きな反響が寄せられていました。