教員の宇野弘恵 (@hihiroro1717)さんが投稿した、小学生時代のエピソードに注目が集まっています。
もう20年以上前のこと。クラスで全員遊びの提案があり、多くの子が賛成していた。ある子が「私は読書していたい」と発言。わがままだという意見が優勢だったが、「それは本当にわがままか」という問いが出され、「休み時間とは何か」「全員遊びをしなくては仲良くなれないのか」「自由とは何か」と意見
— 宇野弘恵 (@hihiroro1717) July 24, 2021
交換がなされ、「読書していたいのと、みんなでドッジボールがしたい思いはどちらも同じく大事にすべき」「全員遊びが苦痛な人を無理やり引っ張り出しても嫌な思いをさせるだけ」「読書したい、全員遊びが嫌だ=仲良くなりたくない、ではない」「休み時間は、誰にとっても自由に過ごす権利がある」と
— 宇野弘恵 (@hihiroro1717) July 24, 2021
「話合い」が進み、最終的に全員遊びはしないと決まった。
「話合い」が話合いとして機能するには、教室に自由と規律、互いを尊重し合える関係性が必要だ。昨日の投稿で述べた「話合い」とは、こういう「話合い」だ。力や数で暴力的かつ一方的かつ一部の意見で決めるのを、「話合い」とは呼ばない。— 宇野弘恵 (@hihiroro1717) July 24, 2021
この「話合い」のあと、みんなでドッジボールがした子たちは毎日みんなに声をかけていた。読書がしたいといった子も、時々参加していた。ドッジボールがしたかった子たちが我慢し続けたわけではない。念のため。
— 宇野弘恵 (@hihiroro1717) July 24, 2021
すごい(*´▽`*)
理想のカタチ
今回の件について、リプライ欄には様々なコメントが寄せられていました。
なんと素晴らしいクラスで、見事な「話合い」への運び。
私が小学校の時は、そういうのは無く「参加しない=怠け→責めるべき」というのが強くそれで不登校になりがちでした。先生も「体を動かすことは大事だから」とあまり【参加したがらない子の意見・気持ち】を汲もうとはしてなかったですね…。
— 幕 羅 (@naruobirasa) July 25, 2021
今でこそ「多様性を認め合う」ということが叫ばれているけれど、以前は「集団行動が正しい」と思われていた全体主義の時代だったはず。
本来なら多人数で遊ぶのがデフォルトの人もいれば、一人で遊ぶのがデフォルトの人もいる。
それを話し合い理解し合える自由な空気のクラスは素晴らしいです。— 山頭火 (@nttcocomo) July 25, 2021
教室というローカルな場であってもありがちな多数決制のデメリットであるマイノリティ排除が防げたことは驚きの結論です。
— Yuk1 Na5ukawa (@Yuk1Na5ukavva) July 25, 2021
互いの意見を否定することなく話し合いを進めるのは、大人であっても難しいことです。
この素晴らしい経験を通し、子どもたちは他を尊重することの大切さを学べたのではないでしょうか。
関連:「すんごい点数のテスト」ある教師の採点方法に…考えさせられる
みんなの反応
●安易な多数決で決めなかったのは素晴らしいですね
●話し合うと言う本質が理解出来ている当時の子ども達が素晴らしいです。私の小学校の同級生だったら何の理由もなく強制参加で、意見する子には間違いなくいじめが起きてました
●きちんと話し合いになるように舵取りしてくれるような人が担任だったのは幸いでしたね、きちんと司会進行が出来る人は中々いないです(私も自信がない)
●「全員遊び」というお話が出ている中で「読書をしたい」と言った子が、言える勇気を持っていたことがよかったと思いました。空気を読んで自分の意見を出せないとならなった。…このように自分の意見を言えるような空気を作っておくこともクラス運営の大切なことでしょうか。本当にいいクラスです
素敵なお話に、他のユーザーからも大きな反響が寄せられていました!