それは森泉岳土(@moriizumii)さんが、イタリアのヴェネツィアを訪れたときのことでした。
ヴェネツィアで泣きそうになったことがあって。観光地からずっと離れたところに広場があって、子供たちはぎゃーぎゃー言いながら走りまわってボールで遊んでいて、老人たちはベンチでおしゃべりをし、広場に面したカフェで若者たちが昼からワインを飲んでいるの。「これが生活だろう」って思った。
— 森泉岳土 (@moriizumii) April 4, 2021
なるほど…(゚Д゚;)
日本との違い
森泉さんは、さらにこう続けます。
なんか「生きることは苦しいものだ」みたいな前提から抜け出せずにいる気がする。日本人は。
— 森泉岳土 (@moriizumii) April 4, 2021
自分が勝手に思っていればいいよ、せめて。でも生活を喜んでいる人がいると「ベンチを取り払え」「ぎゃーぎゃー騒ぐな」みたく止めに入るの、ほんとうに害だと思う。
— 森泉岳土 (@moriizumii) April 4, 2021
人の幸せに寛容であろうよ。
— 森泉岳土 (@moriizumii) April 4, 2021
たしかに、他人の目を気にして窮屈さを感じることがあります。
自分と異なるスタイルを優しく見守れるような寛容さが、翻っては自身の生きやすさにも繋がるのかもしれませんね。
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みんなの反応
●以前イタリアの取引先が「人は楽しむために生きている。人生は楽しむためにある」と言っていたのを思い出す
●仕事が好きで結果を出す喜びのため進んでワーカホリックになっているならいい。だけど日本だと、楽しそうな顔していると、イザこけたときに、ほらやっぱりアイツは仕事サボって楽しんでたから、ざまぁ、とかいわれそうで、それが怖いから仕事してるふりしてる人も多いような。殺伐としてる
●憧れるなぁ、こういう心に余裕がある社会
考えさせられるお話に、他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました。