ころ@日本語教師(@corocoro_oimo)さんは、『言葉の教育』を巡って、こんなエピソードを投稿しました。
事前情報で3ヶ国語話せる(どれもペラペラ)と聞いていた学生から「先生はいいね。だって1つちゃんとわかる言葉があるから。僕はどれも中途半端で、どの言語でも深いこと考えられないし言えないからずっと小さい子供みたいなんだ」と言われ、その後小学校から高校までの話を聞かせてくれた。
— ころ@日本語教師 (@corocoro_oimo) August 4, 2020
テストで2点をとった話をしてくれた。やる気がないのではなく、問題で何を指示されてるのかがわからないんだから何も書けず、テスト中ずーっと真っ白な紙見るしかなかったそう。先生は普段サポートをしてくれなかったのか聞いたら、ころ先生なら聞かなくてもわかるでしょ?と困った顔して笑ってた。
— ころ@日本語教師 (@corocoro_oimo) August 4, 2020
なんでこの話をしてくれたのか尋ねたら「ころ先生が小学校とかにいてくれたらきっと変わったと思ったから。先生研究もしてて、英語と国語の学校の免許もあって。なのにどうして日本語学校の先生なのか聞きたかった」とのこと。
— ころ@日本語教師 (@corocoro_oimo) August 4, 2020
これ聞いて苦しくなった。言葉の教育は本当に重要だから、私は責任が持てないと思って、子供の教育に関わるのは怖くて避けたんですよね。大人相手でもてんてこまいですし。
でも自分にできることが少しでもあるなら…という気持ちもあって…
最近ずっとぐるぐる考えてます。— ころ@日本語教師 (@corocoro_oimo) August 4, 2020
別に話のオチも何もないんですけど。この彼との話がきっかけで今後の私の進路が変わるかもしれないなと思ったので、自分への記録としてツイートしました。
院まで進んで専門性高めようとして、国語の専修免許まで取ろうとしてるけど、一体これは何のためなんだろう。— ころ@日本語教師 (@corocoro_oimo) August 4, 2020
『ずっと小さい子どもみたいなんだ』
彼の背負ってきた悲しみが、深く刻まれた一言です。
知識と理解
「少ししか理解できない」という状況は、時として全く理解できないよりも残酷かもしれません。
私の知り合いにも、中学でアメリカに行き、大学で日本に帰国した子がいます。日本語は中学生レベルでとまって、英語もペラペラではない。そのため大学で日本語でも英語でもきちんとしたレポートを書けない。外国人向けの日本語授業はTOEICが低すぎて受講できないという悲惨な状況になっていました😭
— チャンペー 子供3人(2歳、0歳、43歳) (@df0eAFBYUfbKJ0r) August 5, 2020
バイリンガルでいうところの、ダブルリミテッドですね。息子の英語教育をするときに、担当してくれた先生が何度も親向けに話をしてくれた「母語」の大切さの話を思い出します。母語を優先し、感情の表現、理論的思考、文化を知ることなどです。母語がないと、頭の中の思考が浅くなると。
— 🌻Я-tambah-R🌻 (@dubroyuki0306) August 5, 2020
言葉は、他者とのコミュニケーションのみならず…
自分自身との対話、すなわち「精神の成長」にも必要不可欠となります。
子どもたちに外国語を学ばせたいと思った際は、その大前提を決して忘れないようにいたいですね。
関連:ひらがな、カタカナ、漢字と…日本語を構成する『6つの文字』とは?
みんなの反応
●幼少期の中途半端な海外生活のために、どの言語もカタコトという気の毒な人は少なくない。どれが母国語と言う訳でもなく、とても不安だとか。たどたどしい日本語を話すと外国語は流暢だと思われがちだが、実は両方カタコト
●人は感じる力はあってもそれを表現する言葉を持たないと、伝えられないし受け取れないんですよね
●大学で英語科に所属していた際、バイリンガルでどちらも深く身についてない状態について学び、自分に子どもができたらバイリンガルにしたくても絶対に母語から学ばせて定着するまで英語は控えようと思ったことを思い出しました。ただ耳は幼少期に育つので聞かせるだけはしようかなとも… 何が正しいのか
深く考えさせられるお話に、他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました。