森哲平 (@moriteppei)さんは先日、学校における「運動会の練習」について、こんなツイートを投稿しました。
1年生の娘が学校に行きたくないと泣く。運動会の練習が嫌なのだという。何が嫌か理由をノートに書かせてみたら「運動会の練習で先生が怒る」「左でも右でもいいのに全員右に揃える」「一人が間違うと連帯責任」「間に合わないと、間違えると休み時間も練習させられる」。そら嫌だわ。日本の縮図。
— 森哲平 (@moriteppei) 2018年5月21日
一生懸命やることはもちろん大切。
しかし、そのために「楽しさ」や「自主性」が全く失われてしまっては、学校行事としての意味が無くなってしまいます。
さらに、いっちー (@windy_story)さんからはこんな呟きも。
近所の小学生が運動会の練習してるけど、去年はさすがに我慢できなくて学校に電話した。
「うるさかったですか?」と聞いてきたので「先生が怒ってばかりだから電話しました。スピーカーから大音量で名指しで怒られる生徒の事を考えなさい」と言った。
今年は怒らないでやってる。 https://t.co/2CtYS1PeQF— いっちー (@windy_story) 2018年5月21日
素晴らしい進言!!
学校側に、いくら「ショー」を完成させるという大義名分があったとしても…
おっしゃるとおり、それが子どもたちの辛い想いで成り立ってると知って、喜ぶ大人などいないはずです。
ネットの反応
●スピーカーで大音量… 公開処刑じゃん…
●怒鳴るって一種の暴力だよね
●何故揃えるのか、何故連帯責任になるのか、間に合わないといけないのは何故なのかが子供達に伝わるといいですよね
あるイベントが、何のために行われているのか。
「慣例だから」と投げ出さずに、開催の都度、振り返ることが大切ですね。