チキ (@chiki_okumaneko)さんは、大学の研究室にて、准教授の先生がひどく落ち込んでいる場面に遭遇しました…。
准教授が研究室で、「今期の学部の文献購読の履修生は教科書を批判していいということを知らなかったみたいで、僕が著者の仮説に異議を唱えたことに心底驚いていました。高校までに教科書は絶対に正しく、鵜呑みにしないといけないと教えられてきたのでしょうか…」と暗い顔で博士の先輩に話していた。
— チキ (@chiki_okumaneko) 2018年4月21日
教えられたものが絶対に正しいという固定観念を脱しなければ、自分で考える力など身につきません。
しかしながら我が国では、大人・子ども問わず、テキスト通りではない答えを嫌う傾向が強いように思えます。
教科書どころか、学生の大半は「本に書いてあることは全部正しい」と思っているので、卒論指導はそれが間違いであることに気づかせることから始まります。https://t.co/uHRee1GAFd
— たまさか(Tom. TK) (@TamasakaTomozo) 2018年4月24日
文部省に準拠しない教育をする小学校に通った。
国語のテストの仮採点を返却された私達は、先生がつけたマルバツにつき教室で全員討論した(根拠を示し主張して話し合う)。どんどん点は変わった。
「先生」=「権威」が絶対正しいわけでなく、論を通すには根拠を要求されるという貴重な原体験だった。 https://t.co/XbFRj4F7zV— Naoko Yamada (@FDR11_19) 2018年4月22日
何年か前までは「参考書に書いてないことだけど」と言うと難関大学に行くような生徒は目を輝かせて興味津々の様子だったが、この何年かは同じレベルでも露骨に「じゃあ、大事じゃない」という顔つきになった。私はもう日本はダメだと思った。判断基準が事柄の内容でなく、人、権威ということだから。
— この間まで高校の先生 (@kkhrpen) 2018年4月23日
このギャップをなくしていかない限り、優秀な研究者を生み出す土壌は、今後もどんどんと縮小していくことでしょう。
ネットの反応
●高校の時に、教科書の解説に思い切り異を唱える先生方がいたのは私の中で大きかったなぁ
●教科書って言い方も良くないかもしれん
●これ多くの人に当てはまりそう。前提を疑わない、俺も…。
教育の未来について、言い知れぬ不安が沸き起こってくるようなエピソードでした。