先日、細胞が不要となったたんぱく質を栄養源として再利用する作用「オートファジー」の仕組みを明らかにした功績により、ノーベル生理学・医学賞の受賞が決定した、東京工業大学栄誉教授の大隅良典氏。
そんな彼が受賞に際して述べたコメントに、大きな注目が集まっています。
毎日新聞の「はやぶさ応援団」の方々が運営するアカウント、はやぶさ毎日 (@mai_hayabusa)にて、その内容が紹介されていました。
ノーベル賞に決まった大隅さんが、会見で基礎研究の重要性を訴えたコメント(1)
オートファジーが必ずがん(の解明)につながるとか、寿命の問題につながると確信して始めたわけではない。基礎的な研究というのは、そういうふうに展開していくもの。基礎科学の重要性をもう一度強調しておきたい。— はやぶさ毎日 (@mai_hayabusa) 2016年10月3日
基礎研究の重要性を訴える大隅さんのコメント(2)
私は大変に憂えていて、サイエンスは「どこに向かっているか」が分からないのが楽しいところで、そういうのが許される社会的な余裕が必要と思う。「これをやったら必ずいい成果につながる」というのは、サイエンスの分野では難しい。— はやぶさ毎日 (@mai_hayabusa) 2016年10月3日
基礎研究の重要性を訴える大隅さんのコメント(3)
少しでも社会がゆとりを持って基礎科学を見守っていただけるようになってほしいと常々思っていて、その努力を私もしたい。「役に立つ」ということが、とても社会をだめにしていると思っています。— はやぶさ毎日 (@mai_hayabusa) 2016年10月3日
基礎研究の重要性を訴える大隅さんのコメント(4)止
科学で役に立つことが、「数年後に起業できる」と同義語のように使われることが問題だと思っています。将来を見据えて、科学を一つの文化として認めてくれるような社会にならないかなと強く願っています。— はやぶさ毎日 (@mai_hayabusa) 2016年10月3日
ノーベル賞30人計画が発表されたころ、現政策研究大学院大の有本建男教授(当時文科省)が「一つのピークを狙うのではなく、八ヶ岳のような山をイメージした人材育成、広い裾野からこそピークが生まれる」と話していました。その考え方が、いつか「役立つ研究重視」に変わってしまったようです。
— はやぶさ毎日 (@mai_hayabusa) 2016年10月3日
基礎研究の重要性を繰り返し訴えた大隅さんの記者会見の一問一答と詳しい研究内容は、以下から読めます。
ノーベル賞:「格別の重さ」…大隅さん一問一答(1) – 毎日新聞 https://t.co/ekArzVSkkQ— はやぶさ毎日 (@mai_hayabusa) 2016年10月3日
何にでも「実用性」が求められる日本の現状では、素晴らしい発見につながりうる基礎研究の芽が、どんどんと摘まれていってしまうと語った大隅氏。
こうした懸念に対し、多くのTwitterユーザーたちが共感の意を示しています。
この国が不思議なのはノーベル賞と前例が大好きなのに「ノーベル賞の研究者の研究環境」の前例を全く踏襲しないことだ。何度もいうけど白川さんの「基盤経費が潤沢で好き勝手やれたからノーベル賞取れた。テーマ決めて競争的資金取らないと研究できない今の大学はやばい」という指摘は無視されたまま
— 増田聡 (@smasuda) 2015年10月5日
ニュース番組のインタビューで大隅先生が「科学を文化として認めて欲しい」「基礎研究です」「20年50年100年後に役立つかも分からない」とおっしゃられた端からキャスターが「役に立ってこそ研究者冥利だと思いますが…」のような質問をしてて、世間一般との溝の深さを思い知った。
— shigeo (@ShigeoTky) 2016年10月3日
ノーベル賞の中継見てたけど、教授が必死に基礎研究の一見役に立たなさと研究予算の無さを主張してたのに、アナウンサーが「とても嬉しそうでしたね」の一言で纏めてたのが印象的だった
— 小泉八雲 (@abiko131) 2016年10月3日
多くの研究は、深層まで突き詰めた後で、初めてその意味が判明するもの。
だからこそ、「八ヶ岳のような山をイメージした人材育成、広い裾野からこそピークが生まれる」という有本建男教授の言葉も、もっともだと思います。
ノーベル賞受賞者が出るたびに、
「この研究は世の中のなにに役に立つのですか?」と質問する人は、
「何かの役に立つために何かをする」
という動機付けでしか行動できない人であり、「知的好奇心で調べずには居られない人」のことは絶対理解できないし、たぶんノーベル賞に最も遠い人だと思う。— いしわたりしんいち (@robanotearoom) 2016年10月3日
先の見えない研究に没頭できる。それ自体が、そもそも一つの「才能」です。
そんな才能をもった研究者の数自体が限られているという前提にも意識を向け、もう少し、彼らのことを大切に見守ることができる社会が必要です。