「感動をもらう、与える」という表現について…
Mitsuyoshi Numano (@MitsuNumano)さんは、以下のような持論を投稿しました。
近年やたらに使われるようになった表現で、感動をもらう、与える、などいうのがある。じつに嫌な表現だと思う。いつから感動はデパートで買えるお中元のように、手軽にあげたりもらったりするものになったのだろうか。感動は自分の心の底から湧きあがってくるものじゃないか。
— Mitsuyoshi Numano (@MitsuNumano) July 7, 2021
なるほど…。
感動の押し売り
「特定の感情を押し付けられている」と感じている方も、少なくなさそうです。
「感動」をそれだけ「安い」ものと見なしている人達がこれを連呼してるのかもしれません。
— 崎田薫 (@blPgbQFlmN8wyHF) July 7, 2021
『感動』は能動的なものであり、受動的なものではない。
鋭い視点に、ハッとさせられますね。
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みんなの反応
●私も嫌いです言葉が軽くて安易な気がします
●与える側が与える、と意識して使い出した時からものすごくいやらしいものになったなぁと思う
●心の泉が枯渇してると湧き上がるものも湧き上がらなくなって、「もらう」って表現がぴったりな時もあるんだけど、そういう表現が嫌いな人がいるなんて思いもしなかったなぁ
●商売、消費の道具にされてしまったんだと思います。本物とは別物だと思っています
考えさせられるツイートに、他のユーザーからも大きな反響が寄せられていました。