佐川・抜け首・なん (@nankuru28)さんの娘さんが中学生のときに書いたという、「人々の問題意識」を巡る作文。
その興味深いテーマ設定と結論に、大きな注目が集まっています。
中学生だった娘が「アフリカの子どもを学校にって空き缶集めるのには、みんな熱心に取り組んでいて、同級生が学校に来られないのには、そうでもないのはどうしてだろう?」って作文を書いたことがあった。
娘なりの結論は「遠くの人には、傷つけられないから」だったんで、感心したんだ。— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2017年2月8日
遠くの人を「助ける」行為だと、感謝だけが返ってくることが多いけれど、近ければ近いほど「我が身を危険にさらす」ことにもなりかねない、んだと。遠くの差別反対は言いやすいけれど、それっていじめじゃない?を直接言う時は自分もいじめられる可能性が高くなるって。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2017年2月8日
アフリカの子どもが学校にいけないのは、貧しい国家の責任だけど、日本に生まれて学校に行けないのは「自己責任」なのはなんでか?アジアの子供の売春は人身売買で組織的犯罪だけど、日本の子供の売春は「非行」なのはなんでか?自分が加害者サイドだって認めたくないから、ってある気がする。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2017年2月8日
近くの問題に関わると、自分の身にも危害が及ぶかもしれない。だからこそ人々は、遠くの問題にばかり目を向けている…。
的確な意見に、他のユーザーからも続々と共感の声が寄せられました。
子供の何気ない疑問ってものごとの本質をついてるよな。 https://t.co/7KVVrlXNCq
— にしゃんた (@hmmbsdKo396umbv) 2017年2月13日
すごい、、、確かにそうだなって思った、、 https://t.co/ybeVc3q8y7
— ?向日葵 金さん☪@カクテル福岡参加 (@gekogekoooo) 2017年2月9日
本当にそう思う。日本人は遠くの弱者には優しいけど、近くの弱者には冷たい。
いざ自分でコストを払って助けることはなかなかしない。
それって本当の優しさじゃない。
責任を持たず、いい人面したいだけの人には近づきたくない。 https://t.co/ucPqZdUiau— せり (@9713_miu) 2017年2月9日
国外の人々を助けるための積極的な行動は、言わずもがな、素晴らしい美徳です。
しかし、その一方で国内の様々な問題が未解決である現状を見ると…やはり、悩ましい部分があります。
限りある善意を、我々はどこに注ぐべきか。改めて、考えさせられるツイートでした。
- Twitterの反応
-
アフリカ救済は「ノーリスク・ハイリターン」。
同級生の救済は「ハイリスク・ノーリターン」。
テスト前の掃除みたいなもんで、現実逃避の一種だよなぁ。 https://t.co/266lNuyzdX— オーヌマ @ ぽすこ (@ko_psc) 2017年2月13日
「なつやすみは海外にボランティアに行きました^^」って人がいまいち好きになれないの、これが原因だったんだ。。( ◜௰◝)
(表立っては言えないやつ。。) https://t.co/AQAPDUsbeq— クーネルサンダース@planet (@QuuuNel) 2017年2月8日
日本人らしさよね‥
角が立つのを嫌う人多いもん。 https://t.co/kJuKTIFQyi— ばじる?3/18アニソンハーツ (@SDVX0720) 2017年2月13日
@nankuru28
FF外から失礼します
石川逸子 の「風」という詩に似た言葉がでてきますので、よければご査収ください遠くのできごとに 人はやさしい
近くのできごとに 人はだまりこむ娘さんの着眼点と結論の鋭さ、素晴らしいと思います
— く~まる@うらら区鬼平君のメイドふレンず (@ut_cat) 2017年2月9日
なん・抜け首・佐川 (@nankuru28) on X...「よその国の差別には敏感なのに自分の国の差別には鈍感なのはなぜか」にも通じると思う。よその国の差別を批判しても基本的に自分は傷つかないし揺るがされもしない(よその国の差別でも「我がこと」として捉える感性を持つ人はその限りでない)。
— ぐるぐる(恩讐を超えてゆく) (@gurugurian) 2017年2月9日