Taka(@taka_cfo)さんが投稿した、自身の祖父にまつわるエピソードに注目が集まっています。
私の祖父、熊野古道で迷ったりした外国人を道案内していたんだけど、純ドメ農夫なのに英語ペラペラなのが不思議だった。
気になって「どうやって英語を身に着けたのか」と聞いたところ、「インパール作戦に参加しタイのジャングルで赤痢で倒れていたところイギリス軍に発見され、1年ほど捕虜(文字数
— Taka/医療SaaS CFO from pro fi/arm (@taka_cfo) March 11, 2024
として過ごし、その時に身に付けたとのこと。(回復まで半年を要したが、それまでに医者や看護婦とやり取りをするのに必死になるうちに覚えた)
既に終戦していたこともあり、人道に反した扱いは受けなかったため、かつては銃弾を撃ち合った仲たが、イギリス軍には感謝している、とよく話していた。
— Taka/医療SaaS CFO from pro fi/arm (@taka_cfo) March 12, 2024
幼いころ、一緒にお風呂に入るたびに体中の傷や弾痕を見せながら、それらができた経緯を話してくれた。
当時の私は「おじいちゃん戦争で大変だったんだなあ~」くらいの感想だったが、後に日本史の授業でインパール作戦を学び、その全体像を知りショックを受けた。
— Taka/医療SaaS CFO from pro fi/arm (@taka_cfo) March 12, 2024
1点訂正。
タイではなくミャンマーですね。— Taka/医療SaaS CFO from pro fi/arm (@taka_cfo) March 12, 2024
なんとΣ(゚Д゚)
衝撃の事実
約3万人の日本兵が犠牲になったとされるインパール作戦に参加し、生きて日本に帰ってこれたとはすごすぎます。
うちのおじいちゃんも(もう亡くなったけど)、ソ連軍の捕虜になってた時期があるからロシア語ペラペラ喋ってた。
戦後だいぶ経ってからも、当時仲良くなったロシア人が訪ねてきてたりしてた。すんごい田舎なのに。 https://t.co/XzkAREBGxC— マロ (@mauzai5415) March 12, 2024
敵地で治療を受けながら懸命に英語を吸収したおじいさんの心情を想像すると、なんともいえない気持ちになりますね。
関連:「こういうジジイになりたい」日本刀造りの見学中、職人が…
みんなの反応
●俺の祖父もビルマ戦線で餓死寸前で終戦になってギリギリ命を繋いで引き揚げてきた人だったな
●現地に身を置いて真剣に生きるための努力をすれば半年から1年で外国語は身につけられるということなんだよね
●やっぱりブリティッシュアクセントなんだろうか
まさかのお話に、他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました。