「小学校の時に、班グループに分かれて自由研究をしていて……」
そんな書き出しから、岸野雄一(@KishinoYUICHI)さんは以下のような呟きを投稿しました。
小学校の時に、班グループに分かれて自由研究をしていて、隣の班に辞書を貸そうとしたら、「貸しちゃダメ!隣の班の方が良くなっちゃうよ!」と、同じ班の子にキツく止められたことがあった。クラス全体の研究レベルが上がるのは良いことだと思うのだが。近しい事がその後の人生でも度々起こった。続↓ pic.twitter.com/M98aWT1gEL
— 岸野雄一 (@KishinoYUICHI) June 26, 2024
子供も大人も、一定数の「隣の班に辞書を貸さない層」は存在する。年齢を重ねるごとに、隣の班に辞書を貸せないお立場や、事情というものも発生していくようだ。そんな立場に身をおかないように人生設計してきたが、それでも事情というやつは追っかけてきやがる。それを必死で振り払うの繰り返しだ。
— 岸野雄一 (@KishinoYUICHI) June 26, 2024
地域振興の催しの時に、なぜあの店でやって、この店でやらないのか?や、地方の伝統芸能の保存活動について、なぜ地元のことをやらないのか?(やってるってば!)など言われること多いです。一緒に組んで事を成し遂げる事案については、「隣の班に辞書を貸せる人」と一緒にやりたいと思っています。
— 岸野雄一 (@KishinoYUICHI) June 26, 2024
なるほど……。
難しい問題
なお、引用リポストには様々なコメントが届いていました。
私が社長になりたての頃、これと似たような状況になって田中さんに「どうしましょ」と聞いたことがある。親分いわく「ロウソクの灯りと考えよう。人のロウソクに火を分けても君のロウソクは暗くならない。それに、ロウソクが増えたら、部屋は明るくなるだろ?」と。これは今でもうちの会社の基本方針。 https://t.co/7DbHKfEfDL
— 安達裕章 (@adachi_hiro) June 26, 2024
教育側として申し上げると、これは学習方略が間違えている
各グループの評価のみが重要視され、切磋琢磨による全体の質向上が想定されていない
それは学習成果の設定が甘く、理想的ではなく教員が勝手に想定した到達度の達成を至上とするから
教育の根本にある目標を教える側が理解していない https://t.co/20yhtodRUD
— Elemental_Ph.D. (@PhD_PharmD_im) June 26, 2024
情けは人の為ならずの精神で助け合えれば世の中はもっと良くなっていくはずですが、なかなか難しいかもしれません。
関連:塗装した武器を乾燥させるため庭に置き、出かけた結果…嗚呼
みんなの反応
●こういう施しみたいなの、隣人が複数いる場合一度貸したらキリがなくなるケースも想定出来るね。分け隔てなく出来ない施しはかえって仇になる事もあるし、グループ内で貸そうって合意形成を出来ない自分の問題棚に上げてる時点でお察しじゃないの
●私は単に「ケチ」って呼んでるけど、自分が考えだした効率良いやり方を職場の誰にも教えない人いたな「減るから」的に言って。ケチはすげえな!なにと戦ってるんだろう?と思った
●私は小学校6年生の時に担任にコレと同等の事を言われて「そこまでして成績を上げなきゃいけないなら、勉強なんてしなくてもいいや」となり、学校と教師に対する不信感を募らせ、それ以降は学校が給食を食べに行く場所になったなあ。努力するのはいいけど他人を蹴落とすのは違うよねえ
考えさせられるお話に、他のユーザーたちからも大きな反響が寄せられていました。